教養対決?

土曜日か金曜日の新聞だったか、下の書籍広告でなんかの新書があって、大学関係のもので、タイトルも何も一切忘れてしまったが、中に内容紹介的な見出しで、一つ「早稲田大国際教養学部VS慶應SFC、教養対決!」みたいな一行があった。
早稲田も慶應SFCもまったく縁がないわけではないので、ふと目についた。
常日頃、SFCには福田和也とか堀さんなどがいて、あそこの「教養」のレベルは(社会科学系?の学部にしては)高いんじゃないかと思ってもいたし。
早稲田の国際教養というのはどういうところか知らないが、確か英語で全部(ほとんど?)講義するというのが売りなんじゃなかったか。
一応外国文学の専門家としての偏見を言うならば、外国語ですべての授業を行うという形では、決して真の教養は育たない、と思う。
教養とは、何らかの知識ではなくて、ものを考える仕方とか、能力のことだ。
それは、母語における言語能力を磨くことでしか鍛えられない。
外国語の学習とか、外国語による授業が無意味だというのではない。
むしろ異言語に出会うという経験そのものもまた「真の教養」を鍛えることに大いに貢献する。
ただ、それは英語(外国語)で授業すればよいということではない。
残念ながら今の大学生のレベルは(とか言いながら自分の頃だってそうだったが)、英語によって自分の思考を練磨するというところには到底達していない。
(というか、それはほとんどの人にとって究極的には無理なのかもしれないが。自分のフランス語だって、そもそもそんなレベルには達していないし)
外国語を学ぶことは重要だし、外国語で授業を受けることにも意味があるだろう。
しかし同時に、母語による(母語によってしか可能ではない)思考の深みに触れることも、別に必要なのだ。

とはいえ、早稲田の国際教養には確か、竹田青嗣加藤典洋とかがいて、完全に英語でやっているとは思えんのだが。

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13日(土)
朝は末娘を体操に。午後は家族全員で吉祥寺。長女が英語、息子は水泳。東急の屋上で遊ぶ。

14日(日)
お父さんが小型テレビを買いたいと言うので、義父母を連れて車でコジマ。20型を探していたが、値段が変わらないので、結局26型を買う。そのあと高井戸オリンピックんに回って火災報知機を8台。テレビ放送のデジタル化と言い、報知機と言い、業界団体とグルになって物を買わせる言語道断の政策ばかり最近目につく。まったく腹立たしい。

15日(月)本日
午前中、翻訳p.173まで。
午後、大学院の日本語認定試験問題を作らなければならないことに気がついて、ちゃっちゃっちゃっと作る。構想から執筆、プリントアウトまで40分ぐらいという早技の割には、我ながらなかなかそれっぽいものができた。定期が今日までだったので、急いで学校に持っていく。
これで何もなければ3月中は大学に行かんぞ。そして4月になってから定期を買うのだ。
帰りに吉祥寺に寄ってマリナ・ド・ブルボンで紅茶購入。アンテンドゥでパンを買って帰る。