ALSの疑い?日記

何から書き始めればいいのだろう。
前回の更新からずいぶんと長い月日が経ってしまった。

あれからいろいろあったが、今は1年の予定で海外で暮らしているので、日々書くべきこと、書きたいことはいっぱいあるし、そういうこまごまとした海外生活の日常を書いた方が日記として楽しげになるだろうことは間違いない。
だが、この2年ほどの間に自分の体に起きた異変について何も触れないまま、この日記を更新するのも、やはりおかしいだろうと思う。

前回更新の日付を見ると、2011年の9月23日になっている。
この時、僕にはまだかすかな自覚しかなかった。
しかし、思えばこの頃から始まっていたのだった。

本当は、書く必要などないのかもしれない。
大して書きたくもない(最近は何もかも面倒くさくなっている)。
それでもやはり記録しておくべきかもしれないという思いもずっとくすぶっている。
このまま時間が経つと忘れてしまいそうになる。
だから忘れないうちに、とにかく記録だけはしておこう、そう思って、ここにごく簡単に経緯を記すことにする。

2年前の夏ごろ、ということは2011年の夏ということになる。
そのころから、僕はどうも箸が持ちにくいという気がするようになっていた。
箸を持つ握力がないというか、どうも老化で握力が低下してきたのかな、と思っていた。
まださほど大したことはなかったし、あまり気にしていなかった。
そのうち、11月ぐらいからだろうか、洗濯物を干すたこ足(?)をベランダの鴨居のようなところにかけようとして、右腕が上がりにくいことに気づいた。
そのころから確かに、右腕がものすごく上がりにくくなっていた。
僕はいわゆる四十肩とか五十肩とかいうものかと思っていた。
それでネットで調べたりもしてみた。
症状からすると、しかし、四十肩には痛みが伴うらしいので、違うようだと思えた。
僕の肩は、もちろん上がらないものを無理やり上げようとすると痛いのだが、何もしなければ何の痛みもなかった。
症状自体もまだ大したことはなかったので、そのままあまり気にせず放っておいた。
あまり気にせず、と言ってももちろん箸が持ちにくい症状は続いているし、気にはなっていたのだが、なにもなくたって日常の生活はそれなりに忙しいものだから、病院に行くにはよほどの不便がないとなかなか思いきれない。

はっきりとこれはおかしいと気づいたのは、子供と風呂に入っていた時だった。
もう年が明けて、2月くらいになっていただろうか。
左腕は力こぶが作れるのに、右腕は硬い力こぶにならず、ふにゃふにゃだった。
あれ?と思って右腕をよく観察してみると、左に比べて筋肉量が目で見てはっきりわかるほど減っていた。
筋萎縮。
その言葉は当然すぐに頭に浮かんだ。
初めて僕は自分の体にただならぬ異変が起きていることに気づいた。

それからすぐに僕は一番近い総合病院であるOGKB病院に行った。
どこへ行ったらいいかよくわからなかったのだが、とりあえず整形外科に行ってみた。
ところが、これは失敗だった。
その日たまたまひどく込んでいたことも運が悪かったのだが、朝9時前に入ってから、診察を受けられたのが午後2時半。
お昼も食べられないまま待ち続けたわけだが、その担当医がどうにもならなかった。
おそらく向こうもあまりに忙しくてまともに診る気にもなれなかったのかもしれない。
症状を説明しても、うーんよくわかりませんね、というばかりだった。
一応X線を撮ったのだったか、もうよく覚えていないが、とにかく異状は見つからないので、まあうちではわかりませんね、というだけで終わった。
医者なのだから、もし自分の専門分野でわからなければ、こういうところを受診してみたら、ぐらいのことは言ったらどうかと思ったが、とにかく、2時半まで待たされた挙句これなのだから、さすがに頭にきた。
OGKB病院には二度と行くことはないと思う。
しかし、このとき、一つさらに発見があった。
それまでは右腕(の上腕部)にしか目が行っていなかったのだが、整形外科の医者に、「箸が持ちにくいんですよね」と言いながら、何気なく右手と左手をそろえて手の甲を差し出したとき、右手の親指と人差し指のあいだの肉が、これもまた目視でわかるほどくっきりと筋肉が痩せていることに気づいたのだ。
自分で差し出しながら、あっ、と思ったのだが、医者はそれにすら気づかなかったようだ。

それから、僕は整形外科では無理そうだと判断して、何科を受診すべきか、インターネットで調べてみた。
筋萎縮というのは、神経内科だった。
ネットで得た情報から、自分の家から比較的便利に行ける病院として、僕はT大学付属のO病院というところに行くことにした。
大きな病院というのはたいていそうだが、初診は予約ができないので、朝早くから、半日は待つ覚悟で行くしかない。
幸い(?)というかなんというか、僕はすでに朝8時半から午後2時半まで待った経験があるので、もう大抵のことには驚くまい。
そのころ、すでに3月の半ばごろになっていたか。
すぐには朝から午後まで病院でつぶせる日程が取れなかったので、実際に受診に行ったのは、もう4月の新学期に入っていたと思う。