翻訳集中月間

2月の入試期間が終わり、ほとんど家で仕事をしている状態になったので、今月はよく翻訳が進む。
亀山郁夫さんが、二年間ずっとカラマーゾフの翻訳をしていたころのことにふれて(あれを二年でやったとしたらそれもすごいが)、翻訳というのはとにかく動物的な作業だ、というようなことを言っていたが、僕も今ぐらいずっとやっていると、その意味がわかってきた。確かに来る日来る日もやっていると、何か反射的にというのか、本能でというのか、とにかく動物的に言語を往還している自分に気づく。
翻訳p.162-169.

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最近、気になるのが「嫁」という言い方である。
テレビの芸人とかが主に使っているのに数年前から気付いたが、さっき知らない人のブログをたまたま読んでいて、その文章はまあ別に悪くないのだが、そこでも「嫁」がつかわれているのである。
これは何なのだろう。
まあ僕の場合、単に自分がマスオさん状態だから「嫁」という言葉がしっくりこない、という事情もあるのだが、それは別として、
嫁入りとか嫁ぐとか、家父長制(って大上段に構え過ぎか)の権化みたいな考え方で、今の若い人たちでもこんな言葉を抵抗なく使うっていうのが理解できないのである。
まあ、一時フェミニズム(とかもっと前にはウーマンリブ)とかがはやったのが下火になって、また一周してきて、今の人には抵抗なくなった、ということなのかもしれん。
そういう周期性って、あるよな。
「作者の死」とかもそうではないかしらん。一時、文学研究や批評で「作者」なんてことを言いだすことさえはばかられるような雰囲気があったが、しばらく経って今ではまた普通だ。まあ一種の揺り戻しというか。