ダウン、熱出た&四方田犬彦『先生とわたし』

帰省前からずっと体調悪かったけど、予定が詰まっていたので、適当に薬でごまかしながらしのいできたが、ついにダウン。昨日は一日寝てた。

どうせ仕事にはならないからと、寝ては起きての繰り返しの中、四方田犬彦の『先生とわたし』読了。
うまいなあ。うますぎる。
さして分厚い本でもないのに、重量感というか読み応えはたっぷりあって、しかも一気読みさせる。この圧倒的な筆力・取材力・構成力。

80年代の後半に大学生だった者にとって、四方田は若くして活躍する華々しい知のスターだった。
ただ、スターだっただけに、僕は当時四方田の本をほとんどまともに読んだことがない。
というか、もしかしたらこの『先生とわたし』が、初めて買った彼の本ではないだろうか。
ほとんど信じられない思いがするが、改めて思い返してみると、確かにそうだ。
信じられない思い、というのは、それほど、80年代後半に仏文科にいて∧(かつ、と読ませるつもり)映研にいた僕にとって、「四方田犬彦」の名は親しいものだったからだ。
そしてその活躍のあまりの華々しさの中に、彼が「本物」かどうか疑わせるものがあり、敬遠してきたということなのだろう。
わずかにその名高い中上健次論『貴種と転生』には興味をそそられていたが、結局ぱらぱらめくっただけで読まずに終わった。
『先生とわたし』も、初出の『新潮』を僕はなぜか本屋で手にしてかなりの部分を立ち読みしており、引き込まれるようにむさぼり読んだのだが、やはりなぜか敬遠したい気持ちを抱いて、本になったときも買わずにおいた。
今回、特に気持ちに整理がついたとか、そんな大げさなことではまったくないのだけれど、文庫化されたのを機に、ふらっと買ってみたのである。おもしろい本であることは、だからすでに知っていた。
それにしても、大した才能である。
もちろん、この手の本を批判する向きが多いこともよくわかる。都合よく物語に仕立てている「手」がみえすいているきらいもないではない。しかしそれでも、この筆の力は認めるしかない。
その才能の質を云々したがる人はいるだろうが、四方田犬彦は「本物」だったということだ。