連休終了。本2冊の感想など

連休中、泊まりでは出かけなかったけれど、近所の公園などで連日子どもたちと遊ぶ。
一日だけ、下の子二人を連れ、ちょっと電車に乗って水族館へ行ったが、めちゃ込み。なんなんだ、あれは。結局、子どもたちには近所の公園でも変わらないんだから、近場でいいんだよな。
一番下の娘が自転車に乗れるようになった。というか、練習させてみたら、1、2回支えるだけで、すでに乗れるようになっていた。いつの間にか機が熟していたのだね。

昨日からすでに授業3コマ。一日だけならまだ耐えられる。が、授業というのはやはり不思議なもので、3コマしゃべり続けると、テンションが上がってしまうのだ。その興奮がうまく醒めないと、夜の寝つきが悪くなる。夢の中でもえんえんしゃべり続けていたりして、翌日寝不足と。それで次の日も授業だったりすると、それが続いて一週間がつらくなるという、そういうこともある。

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連休中、一度子どもと一緒に近所の図書館に行ったので、ついでに目についた本を2冊借りてきた。
一冊は、佐々木瑞枝『日本語ってどんな言葉?』(筑摩書房)。
大学で留学生に日本語を教える著者が日々の授業でのあれこれや留学生たちとの交流を描いた短いエッセイが集められたもので、内容から言うと、このタイトルには無理があるだろう。「日本語教室の現場から」とでもいったような感じの本である。
ただし、文章は心地よく、すらすらと読める。一編一編も短いし。1時間ほどで、気がつくと全部読み終わっていた。変にダジャレっぽいオチをつけて話をまとめようとするのはよけいな気もしたが、まあ語学エッセイを書く人って、そういうところがある。

もう一冊は、西澤保彦『七回死んだ男』(講談社)。
何かの折に、とても評判がいいということを知って、そのうち読んでみようと心にとめていたものを見つけたので借りた。
これは、同じ日を何度も繰り返して生きてしまうという「特異体質」を持った高校一年生の主人公が、祖父が死んだ一日を何度も繰り返して生きる間に、何とかしてその死を食い止めようとする、という話である。
昔、ケン・グリムウッドの『リプレイ』(新潮文庫)という小説があって、大学生のころ読んですごくおもしろかった記憶があるが、これは、それとはまったく趣の違う話に仕上がっている。『リプレイ』は一種のファンタジーというか、あえて分類すればSFに入るような小説だが、『七回死んだ男』は、そういうファンタジックな設定を導入しながらも、あくまでミステリであることを目指している。
あっと驚くどんでん返し、というと言い過ぎだが、結末は、ああなるほどそういうことか、という気持ちにさせられる。
タネはいわば二段構えになっていて、その一段目の部分は半分ぐらい読むと、あれ、これって…と何となく見えてしまうのだが、しかし、そうだとすると大きな問題点が一つ出てきてしまうよな・・・と思っていると、最後にそれが意表を突く形で、しかしなるほどと思う形で、解決される。
いわゆる叙述トリックというやつだが、これはある意味、クリスティの『アクロイド』をもしのぐ無茶な技である(その無茶を可能にしているのが、このファンタジックな設定なわけだが)。
正直、文章は幼稚なので(高校生が語り手だから、半ばわざとだろうが、しかし文章自体、こう言っては悪いがいわゆる「新幹線本」――駅のキオスクで買って3時間で読むたぐいの本を個人的にこう名付けている――のミステリのレベル)、こういう幼稚な文章に付き合わされるのはかなわんな、という(特に7回も繰り返される祖父の死の顛末には、だんだん飽きてくる)思いもなかったわけではないが、パズラーとしてはおもしろく読んだ。こういうのが好きな人には悪くないだろう。