ハーフではなくダブルと呼びたい

「ハーフではなくダブルと呼びたい。日本人の血が半分混ざっているということじゃなくて、違いをどれだけ豊かに束ねられるかが大切」(スリランカ出身のにしゃんたさん)
朝日新聞9月6日付け朝刊より)
なるほど。ハーフではなくダブルというのはなかなか気が利いてる。

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来週、映画の話をしなければならないので、トリュフォー「大人は判ってくれない」をDVDで観た。
昔の友人たちに言うとあきれられると思うが、この映画を、実は僕は見たことがなかった。
一度早稲田のあれはなんという名前だったか、ACTだっけ、のオールナイトで観た(というか観てないのだが)ことがあったのだが、そのとき、僕は冒頭のシーン数分のところで寝てしまい、ふと目が覚めると、ジャン=ピエール・レオー演じるアントワーヌ少年が海辺を走っているシーンだった。つまり最初と最後の数分を除き、中身をものの見事にきれいに見逃してしまったのだ。
大体、オールナイト上映というのは、4、5本立ての中のどの映画のところで寝るか、というのも大事な点である。(別にトリュフォーで寝たかったわけではないが)
今回改めて見直してみて、そういう記憶自体なくしていたのが、ラストの走るシーンになったところで突如として思い出した。ああ、かつてオレは目が覚めたらこのシーンだったことがあると。記憶というのはものすごいものだ。

ところで映画は、というと、泣けるね、これは。
ちょっと忘れられない衝撃だ。
これとゴダールの「勝手にしやがれ」がヌーヴェル・ヴァーグの記念碑的作品だというのは本当によくわかる。この2本、メガトン級のパンチだよ(←どういう古い表現?)。