地震発生時のことなど

地震から一週間以上が経った。
この日記を更新するのも久しぶりだ。
さっき見たら前の記事は1カ月以上も前のものだったので自分でも驚いた。
とりあえず僕の周囲には大した変化はない。
地震が起きたとき僕は僕の部屋で、妻は妻の部屋で、それぞれ仕事をしていた(と、妻のことは知らないがたぶんそうだと思う)。
僕はパソコン上で翻訳の原稿を読み直して推敲していたところで、揺れが始まった途端、なぜかこれはいつもと違う、大きく来そうだといういやな予感があり、すぐにWordのソフトウェアを閉じて、ファイルをUSBメモリに素早くコピーした。今作業していた分を失いたくないと思ったためだ。
と、すぐにかなり激しい揺れが来た。立っていられない、というほどではない。むしろこれはまずいと立ちあがってドアの方に体を向けると、妻が慌てて僕の部屋に入ってきたところだった。お互いに前代未聞の状況に顔を見合わせた。
僕は取り外しの手続きを経ずにUSBメモリをパソコンからそのまま抜き取りポケットに入れた。
結果的に東京の揺れは震度5強ということで、僕と妻にとってはどちらもこれほどの揺れを感じたのは生まれて初めてというほどのものではあったが、東京など屁でもなかったのだ東北に比べれば、ということを知ったのは後になってからである。
我が家では棚が落ちてくるとかそういうこともなかった。せいぜい僕の本が数十冊、いい加減に積み上げていた分が崩れ落ちた程度だった。きちんと本棚に並べてあった分は問題なかった。
揺れが収まってから、学校や保育園からの連絡はなかったが、自主的に子供たちを迎えに行った。連絡がなければ必要ないのかな、と思ったが、行ってみると子供たちは防災頭巾をかぶって校庭に集合していて、ほかにも迎えに来る保護者たちが三々五々やってきた。
そもそも学校から連絡しようにも電話が通じなかったのだろう、というのは、これも後になってから思い至ったことである。
ともあれ、保育園の次女も含めて子供たちを全員連れ帰った。
それがまあ大体、地震発生直後の行動である。

*     *     *     *     *

こんな調子で書いていたらきりがない。
そもそも今一か月ぶりにログインしたのは、こんなことを書くためではない。
ここ数日読んだ本の感想を書くためだった。
しかし立ち上げて(というかログインして)さあ、とキーボードに向かうとなんか全然違うことを書き始めてしまった。人間というのは不思議なものだ。
ともあれ、一つだけ思ったことを付け加えておく。
地震から二日、あるいはせいぜい三日ぐらいか、の間は通常とは違う、何というのか、危機感というか、〈非常時感覚〉というものがあり、何となく高揚していたのだが、三日もたつとその高いテンションは保てなくなる。
僕がこう言っているのは、実は自分のことというよりもテレビのことを言っている。
地震の日はもちろん、その翌日、さらにその翌々日ぐらいまで、テレビは実によく「頑張った」。
そのことは本当によくわかった。
だが三日もたつと、結局、言い方は悪いが、災害の報道が、「ショー」というほどではないにしても、少なくとも何かしらのドキュメンタリーとでもいうか、結局「見世物」的に、ほとんど「バラエティ」の一種に、なっていってしまったという印象を、僕は抱いた。
なんというか、やりきれない。
これはテレビのせい、というよりも、何か人間というものの、とまでいうと大げさかもしれないが、少なくとも何かこの近代社会、近代文化、近代生活の、避けがたい「凡庸化」の趨向力が生む悲喜劇なのではないかと思う。


なんか難しい言葉遣いをしてしまった…。

いずれにしてもわれわれは「非常時」の状態を常時保つことはできない、そういうことでもあるかもしれない。


今日は疲れたので、本の読後感についてはまた明日にしよう。
(とそうやって先延ばしにすると今度はもう書く時間が取れなくなってしまうのだが)