親とこどもについて、言葉について、教育について

実家で要介護状態となった親に付き添って病院に行ったり、腕を貸して並んで歩いたりすると、頭をよぎるのは「生の順番」とでもいう観念だった。
昔僕を育ててくれた両親が、今は僕の助けがいる状態になっている。
今僕が育てているこどもたちも、やがて僕に対して同じような思いをもつようになるのだろう。
こどもを持つと、自分とこどもとの関係が、自分と親との関係に常に逆照射される。

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昔、うちのこどもたちがもっと幼かった頃、棚の上にあるものに手が届かないとき、「届けないよぉ」と言っていた。
いわゆる可能動詞(読めない、書けない・・・これって下一段活用っていうのか下二段活用って言うのか知らないけど)のルールに当てはめて彼らなりに類推して作った言葉だろう。
文法的には理にかなっている。(俺は親バカか)
今、みんな小学生にあがる年になって、もう誰も言わなくなった。そのことが、言葉をあつかう商売をしている親としては、ちょっとさみしい。

そういえば、一番下の娘が2、3歳の頃、熱々のスープを冷ます(フーフーする)とき、「あったかくして」と言ったのでおやと思ったことがある。
乳幼児には冷蔵庫で冷やした冷たい飲み物などはそのまま飲ませられないので、少しあっためてから与えるのだが、そういうときの「ちょっとあったかくするよ」という親の言い方を覚えていて、彼女の頭では、「あったかくする」というのが「ちょうどよい飲める温度にする」の意として理解されていたのだろう。だから熱すぎて飲めないスープを冷ますときも彼女にとっては「あったかくする」だったのだ。
こどもが言葉を会得していくときのこうした出来事が、語学教師としては本当に興味深い。
もっとたくさんあったと思うのだが、もうあまり覚えていないのが残念だ。

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毎年新入生にレポートの書き方や発表の仕方などを教える入門用のゼミを受け持つが、これまで教えた学生たち、一部を除いてほとんど顔も名前も忘れてしまっていることに気づいて愕然。
たった三ヶ月しかないこともあるが、どうもこの授業はうまく教えられず、僕がこの授業担当しても意味ないんじゃないかと思って、だがすぐ、いやそもそも俺の授業で意味ある授業なんかあるのか、と根本的な疑念に襲われ、もっと愕然。

出来る学生は出来るし、出来ない、やらない学生はやらない。
出来ない学生に対する教師の責任は一定程度あるが、出来る学生に対して、教師の貢献は何もない。
それはもっぱら彼等の「功績」だ。

学校の教師なら誰でも知っていると思うが、学生は教えたって出来るようにはならない。自分の手で掴み取ったものでなければ、本当は意味がない。
それを掴み取らせるべく「触発する」ことだけが教師になしうる最大のことで、それができる教師こそが名教師なのだが、僕のような凡庸な教師は、ただ知識の伝授しかできないために、懸命に「説明」しようとしてしまう。
「説明」には何の意味もない。

学生に、授業内で「わかったつもり」にさせることはたやすい。だがそういう一時の幻想やまやかしではなくて、真に何かを掴み取らせるには、単に「教える」というのではない何かがいる。それはふつうに考える「教える」という行為とは違うものだ。