認知症、振り込め詐欺、無洗米

造語能力というのはどんな言語にもあるものだが、日本語の造語のセンスというか、作り方が、なんか自分の感覚とずれていると感じることが数年前から多くなった気がする。
その最初が、順番はあまり覚えていないが、「認知症」だったと思う。
これはその前は「(老人性)痴呆症」と呼ばれていたもので、庶民の遠慮のない言葉遣いでは「ボケ老人」と言われたりするものだ。
これが「認知症」に変わったものだが、これではなんのことかよくわからないと思ったのは僕だけだろうか。
「〜症」というのは、何かの症状が出る、その症状を表す言葉が「〜」の部分に入るのがふつうだと僕は思っていたから、「認知症」って、ああそう、認知できるんだったらいいんじゃない、というのが素直な反応なのだ。
「認知不全症」ならわかる。(あるいは「認知障害」とか)

振り込め詐欺」はちょっと理由が違うかもしれないが、「振り込め」という命令形と「詐欺」という名詞の接続で造語するという点に違和感がある。
「振り込み詐欺」なら違和感がない。(ただしこれだと、振り込んで詐欺を働く、つまり騙す側が振り込んでいるかのように読めてしまう)
これはその当時、同じような趣旨の投書を新聞で読んだことがある。その通りだと共感したが、残念ながら、大勢を覆すには至らず、この気持ち悪い造語が定着してしまった。

「無洗米」も出てきた当初から、気持ち悪かったものの一つで、とにかく意味不明である。
このまま素直に解釈すれば、「洗っていない米」の意味だと思うのだが、これが実は「洗わなくてもいい米」すなわちもうすでに「洗っている米」(ある種の技術的なやり方で)のことだというのだから、奇奇怪怪である。
しかし、我が家では、ここ数年もうもっぱらこのお米の世話になっているので、ご飯をしかけようと袋を取り出すたび、この表記を目にしなければならないのが残念である。