『犬身』と『音楽の聴き方』

『犬身』について書くつもりが、また数日経ってしまった。
松浦理英子がこんなにエンタメのサービス精神のある人だとは意外だった。文章が的確でよく整理されていて心地よいし、話の運び方もうまいので、巻頭から一気に引き込まれてしまう。
話が出来すぎというか「ベタ」なところも、あるいは「ブログ」というのを何か頑張って小道具にしてみました的なところも、そんなに気にならない。
一つどうでもいいことだけど、下巻の後の方で「ダンチョネ節」というのが出てくる。確か梓は30歳ぐらいという設定だと思うのだけど、僕は40過ぎだが、自分が大学生だったときもこの歌を聞いたことはない。名前は知っているが、歌詞は知らない。ブログが一般的になった時代(多分ここ数年のことだ)に30歳である女性が、学生時代こんな歌を飲み会で歌っていたというのはちょっと時代錯誤な気がする。松浦さんは僕より一回りぐらい上の人だと思うけれど(そんなに離れていない?)、自分の学生時代の感覚で書いてしまったのかな、とちょっとそんなことを思った。

『音楽の聴き方』は第3章が一番秀逸。あとまあ4章もよかったかな。たぶん僕は序のところでなんとなく予告された「人が作品に向かうときに無意識のうちにとっている鑑賞の枠組み」みたいな話に惹かれて、ただそれが結局突き詰めては出てこないことに初めのうち物足りなさを感じていたのだな。
たとえば人はミステリを読むときにはミステリを読む枠組みを自分の中につくっている、ということ、これはでも本当にそうなのか、あるいはそれは果たしてどのようにして可能なのか、たとえば何の情報も先入観もなしに読むとき。とか、そういうことが常々疑問としてあったので、ゴンブリッチの見解とともに予告された「メンタルな構え」について突っ込んで論じてくれるのではないかと思ったわけだ。
でもそれがはぐらかされた後、そういうものではないのだという前提でこの本を読むなら、第3章以降はそれなりに面白くなってきたということだ。