日記を書こうと書くまいと

日々やっていることに違いはないのだけれど、日記をつけていると、なぜか毎日いろんなことをやっているという感じがするのが不思議だ。
そう言えば、昔、大学生のころにごくごく短期的に日記をつけていたことがあって、それを偶然久しぶりに読み返したとき(それ自体すでに10年以上前のことだが)、あまりにたくさんいろんなことをしているので驚いたことがある。
授業に出て、バイトもし、美術展を見た後、映画を見に行ったりしているのである。時間の縮尺がおかしいだろ。つーか今からは考えられないくらい、「精力的な自分」というものがそこにあったのである。
しかしまあ、要は何のことはない。一日にいろいろやっていることをいちいち書きだせば、結構盛りだくさんに見えるというだけのことではないか。

さて、今朝は珍しく朝からちょっと掃除をしたりしてみた。というか朝掃除することは珍しくないが(いや珍しいか)、まだ子どもを保育園に連れていく前の8時過ぎごろまでのあいだに子どもの朝ごはんと並行してちゃちゃっとやっていたのである。ふと体が動く気がしたのである。こういうのはやる気にならないときはやる気にならないが、朝っぱらからでも、何となく体が動く時もある。

とか書いていたら、また小学校から電話で息子が頭が痛くて帰りたいと言っているという。どうしたことか。ちょっと心配。

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昨夜、吉田修一『パレード』を読了。
この人の小説は、昔『悪人』というのを読んだことがあって、いたく感心した。
僕には、面白くて上手くて柄が大きくて深みのある小説を読むと、今年読んだ中でベストワン!と心ひそかに思う癖があって、実際には一年が終わってから振り返るわけじゃなし、年度の途中であくまで「心ひそかに」つぶやくだけなので、本当に(その年が終わったとき)そうであるかどうかは関係ないのだが、とにかく、『悪人』を読んだとき、僕は「これはベストワンだ!」と思ったのだった。だからそれ以来、吉田修一の本は、何か機会があればまた読んでみようと思っていた。(ただし、ほかの小説はなぜかどれも『悪人』とは毛色の違うものばかりらしかったので、これまで読まずにきたのである)

脱線になるが、ついでに書いておくと、そういう心ひそかなベストワン!というのは、その数年前のある年には、水村美苗本格小説』であり、ある年には村上龍『半島を出よ』であったりしたことは覚えている。(これらは実際に、その年が終わってもそうだった)

さて、『パレード』だが、やはりうまい。し、面白い。達者な人だな、というのが(感服交じりの)第一印象。
解説の川上弘美も書いていたように、誰でも、この5人の登場人物の「誰の立場でもありうる」。そんなふうに思わせるように書けるということが、またとてつもない上手さなのだと思う。
登場人物たちはみんな歪んでいる。まともではない。そしてまたお互いにみんなが、ほかの連中をまともではないとみなしている。それでも一緒にいるのが楽しい。離れられない。一番まともそうに思える人物が最後の語り手となる。そこに最大の怖さが潜んでいるのだが、しかしそういうあっと驚く意外な展開みたいなものは、どうでもよくて、そこに至るまでの叙述の運びやディテールのうまさが、この作家のただ者ではないところなのである。
感心したシーン、とくに印象に残っているシーンを(いくつかあるが)二つだけ挙げておく。
第1章のラスト、良介が突然涙を流すところ。なぜか明確な理由はないのに、その明確な理由のなさも含めて、まさにここは涙を流すべきところだと膝を打った(というのは言葉のあやで実際には膝をたたいたりはしていない)。
第5章、社長と別の社員が出張中のため、会社で一人いくつもの電話の対応に追われている直輝が、一瞬ぞくっとする場面。忙しさの中で感じるある種の自己遊離感覚、フランス語で言えばdépaysementという言葉しか僕は知らないが、この突然の感覚には、それこそぞっとするようなリアリティがあった。

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JF翻訳、p.190-195。ここからは終わるのが惜しいので、少しずつやろう。終了目標は来週の水曜日。
午後、長女を連れて耳鼻科に。

妻が学校に面談に行ったままなかなか帰ってこないので、久々に晩御飯を僕が作る。先日テレビで見た「スタミナ納豆」(引き割り納豆とひき肉、しょうが等々を炒め、砂糖としょうゆで味付けしたもの)とジャガイモのチーズマヨ焼き。途中で妻が帰ってきて共同作業に。