週7コマのレギュラー番組

久しぶりの更新。なんか本当に疲れてる。
今、大学のごたごたに巻き込まれている。昨年移ってきたばかりだけれど、来た早々こんなことになっているとは...。
心労でよく眠れない日が続いて、参ってしまう。

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授業するだけでも結構大変で、木曜が終わると毎週へとへとになるのだが、やっぱり多すぎるのかなあ、と先日つらつら考えてみた。
今年度前期の担当は、本務校で6コマ、非常勤で2コマの計8コマ。加えて週1回会議日が入る。
6コマといっても、そのうち1コマは外部の講師によるリレー形式の連続講義で、僕はコーディネーター役として、最初に1〜2分ほど講師の人を紹介して引っ込むだけなので、実際に講義はやらない。
毎回出て行くだけでも面倒は面倒なんだけど、とりあえずそれは除くと、全部で7コマということになる。
(ちなみに、大学で週6コマというのは大体平均的なところだと思う。国立だともう少し少ないところもあるかもしれない。慶應は責任コマは週4コマと聞いた。これは少なくて大変恵まれている部類だろう。普通は、たとえば責任コマは週5コマで、しかしそれでは授業が回らないので、6コマぐらい担当し、その増えた1コマ分については超過手当が出る、というパターンではないか)

さて、週7コマ。
考えてみると、週に7回(×90分)全部違う授業をやって、そのすべてに精魂を込め、工夫を凝らしながら、いい授業をする、というのは、ほとんど不可能である。というか、不可能ではないが、それをやると一週間は本当にそれで終わる。
なるほど疲れるわけだ...。

こんな比較は僭越にすぎるかもしれないが、テレビの司会者や芸人さんが、週に7本レギュラー番組を持っていたら、それは大変な売れっ子だと思うが、その1本1本の番組が、すべてすばらしいものであるということは、非常に難しいのではないか。

授業をやっていて、ああ今日はまあまあいい授業ができた、と思えることは非常に少ない。
というか、まあこっちがよかったと思っていても、学生の感想はまたまったく違っていることが多いのだが、とりあえず自分で満足できなければ、自分にとってストレスになる。
週7コマのうち、4つか5つは、そんなすばらしい授業ではなくても、まあ大体こんなもんだろ、と思えるのだが、1つか2つは、うーんこれじゃあなあ、と落ち込むことが多い。
だから結局、7つともみんないい授業なんて、売れっ子タレントでもあり得ない、とあきらめて、自分を慰めることにしているのである。
大体、「いい授業」の基準がみんな違うわけだし、全員を満足させることは不可能だ。
それでもやっぱり、毎回授業の準備に時間を費やし、終わると落ち込む。
それを週に7回繰り返すのだから、そりゃ疲れるわな...。

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冲方丁(うぶかた・とう)の『天地明察』(角川書店)読了。
本屋大賞第1位というやつで、僕は本屋大賞にはあまり興味がなくて、それで読もうと思ったわけではないのだが、渋川春海を描いた小説だと知って、俄然興味がわいた。
江戸時代に、日本独自の暦を作り上げた人である。別名・安井算哲、この人のことは、前に一度江戸から明治にかけての洋学の歴史を知りたいと思って勉強したときに知って、心に残っていた。
加えて、僕は昔、遠藤寛子『算法少女』(ちくま学芸文庫)というのを読んだことがあって、これも江戸時代の算術の話なのだが、かなりおもしろかったのである。
江戸時代の算術、天文学ということで、ちょっと期待して読んでみた。
結果は、期待以上。いい小説だと思う。
ラスト数十ページはかなり展開が早くて、ここはもっといろいろあるところなんじゃないのか、と思ったけれど(上奏に続く上奏のところ)、まあとにかく、算術と暦法をエンタテイメントにしてしまった腕は見事である。
(そう、司馬遼太郎と違うのは、この小説はエンタテイメントに徹しているというところ)
この人、どういう人か全然知らないし、経歴見るとこういう小説が書けそうな人じゃないのに、読みながら何度もうなってしまった。